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最近ブログ書いていない。 [本]

前にブログのアクセスが減っていることを書いたのだけれど、ブログの順位としては変わらないので、So-netブログからssブログになって弱体化したんじゃないかとの予測なんだけど、実際どうなんだろ。

最近ブログを書かなくなった理由としては、書くネタがない、ということに尽きるのだが、仕事が充実していてプライベートがほぼ寝て過ごすという状態になっているからだ。書く暇があったら寝たいし、他のしたいことだってある。仕事でのアウトプットをメモに残す程度の事はしているのだけれど、あまり外に出してはいかん類の情報も含んでしまうことが多いので、なかなか書くことも出来ない。そこそこ有用な情報はあるんだけど、それだってほとんどググって得られた情報だしね。

まぁ仕事中にブログを書いてたってテレワーク中は怒られることはないのだけれど、いくら暇でもそれはあかんやろと思ってやっていない。とはいえTwitterはしているけどね。まぁ情報収集も兼ねてだけど、短い時間で終えられるかどうかは重要。

暇もないので、技術書も小説も読めてない。さすがに仕事中は読めないし。直接仕事に関わることだったら技術書だったらいいとは思うけどね。そこいらの歯止めが効かなくなったらどうしようもないから、少しは律している。とはいえ、会社行くとその快適さも手伝って仕事がすごく早く済んだりして多くやってしまうことも多いのだけれど。

ちょっと前にWeb+DB Pressを買ったので、それは仕事中に読むかもしれない。早めに読んで早めに読者の意見を投稿したいと思っている。技評の雑誌は採用率が高いので嬉しい。書くモチベーションになる。謝礼もそこそこ貰えるしね。

あとジブリのアニメの原作の『海がきこえる』を買いました。いつか原作を買おうと思っていたのですが、今になってしまい反省。というか、ジブリ作品としては自分の中では三位のアニメ映画だったりします。ジブリ作品としての認知度はかなり低いけど、青春を謳歌していていいなぁ、とおじさんは思うばかりであります。

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ドライブ・マイ・カーを読んでいなかった? [本]

村上春樹の本は大体読んでいるのに、ドライブマイカーなんて短編あったっけ?と思い返していた。手元の短編集にはなくて、何か読み落としていると思ったら、男のいない女たち、じゃないや、女のいない男たちですね。割と最近に(って言っても2014年ですが…)出ていたようですが、「一人称単数」の方を先に読んでしまったのか。何か読んだ気になっていて、多崎つくると混同していたようです。多崎つくるの方は短編じゃないですけどね。

遅ればせながら買ってきて冒頭を読んだのですが、何か読んだことがある気がしてきた。というのは前書きが書かれていて、まえがきとか、あとがきとか書きたくないんだけど、みたいなことを書いてあるのを読んだことがある気がするからです。その後もペラペラと読んでみたら、短編の一つ「イエスタデイ」が完全に読んだことがある覚えがあった。あまりにも印象的な話だったからだ。

でもドライブマイカーは読んだ覚えがあんまりないんだよな。読んだ気もするし、読んでない気もするし。最近の村上春樹作品は、わりと借りてきて済ませているので、ゆっくりとは読んでいなくて、期日の間に急いで流し読みすることが多い。

ねじまき鳥も1Q84も騎士団長殺しも借りた。その前の(自分の中での)村上春樹ブームでは、お金がなくて古本屋で買っていた。考えればその時も借りて済ませばよかったのだけれど、近くに地域センターで本が借りられるのを知らなかったので、図書館で借りるとしたら長い待ち時間を経て借りないといけなかった。

それと市の図書館間の貸し借りができたので、蔵書の総数が基本的に少ないというのもあった。それに図書館が圧倒的に遠かったので、借りたり返したりが面倒すぎた。そんなわけで、若くて金が無い時はもっぱら古本屋で買っていた。そもそも読むのが遅いので、借りてきている二週間ではびっちり時間を使って読まないと返却期間に間に合わないので、また借りて続きを読むとしても現実的ではない。


女のいない男たちを読んだか読んでないか怪しいところなんだけど、いくつか状況として考えられることがある。

・読んだことがあるけど、ドライブマイカーは覚えてないだけ
・女のいない男たちは読んだことがなく、全集とかで読んだことがあって、そこにドライブ・マイ・カーは出ていなかった。

この二つぐらいかな? 結局、前に買った覚えはないので、どちらにしても借りて読んだことになる。村上春樹にとっては好ましざる読者ではあるのだけれど、今回は買いましたよ。

ドライブ・マイ・カーはそんなに名作だったのかなぁ。とりあえず映画化するくらいで、賞レースにも出てくるくらいだから、そこそこ面白かったはずなんだけど記憶がない。折角買ったので思い出すべく読んでみようと思う。

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むらかみはるき『一人称単数』かんそうぶん。 [本]

もちろんネタバレで行きますよ、感想文なので。

何か村上春樹の短編集を読むのは久しぶりな感じがする。最近出ているかどうかは別でただ単に読んでいないのかもしれない。熱心な村上春樹ファンとは言えないな。最近、近くの地区センターから借りてきて済ませているし、村上さんの懐にはお金は入らないので、彼にとってはいてもいなくてもいい存在なんだろう。

そんな中途半端な村上春樹ファンなのだが、見かけたものはすぐ買う時期もあった。最初の金のなかった時期は古本屋で買っていたりした。暇な時間があるときには、金がないという傾向があるので、わりとお金を使っていない気はする。




さてとネタバレ感想ですね。「一人称単数」という題名の本ですが、最後の短編が同じ名前のものになっていて、それがあまり後味が良くない。村上春樹の短編っぽい気はするが、書き下ろしなのにちょっとがっかりな感じだ。わりと短いし。たまにスパイスとして短編にこういうのが入っているのだけれど、どうも慣れない。


・石のまくらに

なんか知らないけど女の子とすんなりSEXできる、という村上春樹の定型文みたいな短編。ただ、女の子が短歌集を送りつけてきて、それをずっと大事に持っていて、あのとき寝たあの子はどうなったんだろうなと考えているってのは割と好きです。なんというか、小説版の「ティファニーで朝食を」みたいに今頃はアフリカで飛び回っているんじゃないかみたいなポジティブな感じじゃないけど、昔の人を思う系の話は何か無条件にしみじみしてしまう。歳のせいか。


・クリーム

これも村上さんっぽさが強いですね。普通の知らない場所で異次元を見る的なちょっと歪な空間。昔の知人の女の子から送られてくる招待状からの、閉じられたホール。キリスト教の宣伝車にもすがりたくなるような心細さ。四阿(これで「あずまや」なんて読めない)で、ありえないことを考えさせようとする老人。色々、何かのメタファーになりそうなことばかりなのだが、そこまで難しいことはない。これを読みにくいと思った人は、村上春樹の長編はちょっとしんどいかもしれないと思った。


・チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

あまりジャズのことは知らないのだけれど、バードの偉大さというか村上さんの入れ込み様がわかる。ジャズを聞いていれば、チャーリー・パーカーは外せないのだろうが、カウボーイ・ビバップのジェットさんみたいにゲーテの格言を吐く想像のチャーリーみたいに、妄想のチャーリー・パーカーを作り出すことはよくすることなのかもしれない。ボサノヴァがその頃に流行っていたというのは年からして知らなかったのだが、あの曲調はあんまり好きじゃないので別にどうでもいいや。


・ウィズ・ザ・ビートルズ With the Beatles

大筋として、ビートルズのジャケットを持った女の子の話と、付き合っていた女の子のお兄さんとの話があるんだけど、特にビートルズの話はなくてもいい話のような気がした。というか、別の話にすべきような気がしたんだけど、一緒にすることによってビートルズの少女の思い出が最大限に引き出せているような感じがしなかった。でも、なんでボケてるぽい彼女の兄貴に朗読せなあかんねん、というところからシリアスな話に入っているところは面白い。わりと引き込まれる。

長い時間が経った後、兄と再会するのも村上春樹っぽいのだが、そのときにガールフレンドが結婚後自殺するというところも村上春樹っぽかった。何も殺す必要はないと思うのだが、印象を残すのに人を自殺させるという手法は使いすぎだと思う。まぁ好きだった人が自殺するとか心を震わせるものはあるのだが、多用されると効果的ではなくなるよね。確かにお兄さんから妹が一番好きだったのは自分だと告げられたら、本人から言われるよりかグッとくるけど。

前から思っていたのだけれど、村上春樹で関西弁が出てこないのはすごく不自然。だからこの短編はしっくりきている。ノルウェイの森で全く関西弁が出てこないのは嘘やろという気持ちになっていたのだが、直子と関西弁でやり合っていたりしたら、あの小説の雰囲気がぶち壊しになりかねないなと思ったりもする。軽い関西弁が小気味良い。


・「ヤクルトスワローズ詩集」

本当に出したことがあるのか疑問だが、多分あるのだろうと思われる「ヤクルトスワローズ詩集」。デレクハートフィールドのようなでっち上げを普通にするから用心しなければならないのだがw。ほぼ同人誌なのだが、自分のところには二冊しか残っていなくて、今たくさん持っていれば高く売れたのになというジョークが好き。基本的に村上さんはみみっちくはないのだが、たまに見せるこういうところが好き。なんかね、人格が面白い(おかしいではなくおもしろい)。小さい時にタイガースのファンクラブに入っていないと周りからいじめられるというのがすごく笑った。当時はそういう差別的なことが横行していたのだ。

本自体は短編集なんだけど、これはエッセイのようになっている。ただ本のことを書く短編という二重構造になっていて、それはそれで面白い気はする。なかなか自分の書いた本のことなんて書いたりしないからね。ともすると言い訳になってしまうだろうしね。

というか、ヤクルト・スワローズの前身がサンケイ・アトムズだったなんて知らなかった。しかも、鉄腕アトムのアトムらしい。それならば知っていそうなものなのだけれど、オリックスが近鉄バファローズだったぐらいの昔しか知らない。まぁ20年以上年が離れていれば当然か。わりと最近の長編でも、そんなこと若い人たちは知らないよというギャップが結構あったりして、村上さんもおじいちゃんなんだなと愕然とする。その愕然は自分も歳をとったという意味で。


・謝肉祭(Carnaval)

これはわりと秀逸な短編。クラシックはほとんど聞かないのだが、シューマンの謝肉祭の面白さがわかるという面白いものになっている。そして醜い女というわりと人に平等な村上さんにしては随分な言い方なんだけど、それが逆に光っている。この本の中では一二を争うぐらい良い。ノルウェイの森で長沢さんと女の子のスワッピングをしているところがあって、そこでブサイクの方が良かったと言う時ぐらい、何かしっくりきたものがあった。美人が何か足りなくて不幸になっている描写とかもわかる気がした。大きな展開はなくとも、その状態を書くだけで面白く何かを納得させられるのはすごいと思う。


・品川猿の告白

たまに擬人化された動物が出てくるよね、村上ワールド。しゃべる上品な猿が美人の名前を盗むという、なんとも荒唐無稽な話。村上春樹の初期の頃の長編っぽい。ただしメタファーみたいなものは基本的にないと思う。難解でもない。以前にも品川猿みたいなネーミングをどこかで聞いた気がするんだけど、村上春樹じゃないかな。新宿鮫っぽい書き方で、なんとか猿みたいなのをどこかで見た気がするんだけど。


・一人称単数

先にも言ったが、本の題名になってはいるけれど、後味があまり良くなくてすっきりしない。それも本の最後だから気になる。音楽CDのアルバムで、表題名の曲があまり面白いものではないことが多いのと同じように、ここでも正直素晴らしいかと言えばそんなに素晴らしくはない。そういう時もあるよね、という気持ちにはなるけど、そんな日はたくさん来てほしくはないな。

あとアルバムとかで表題名の曲しか良くなくて、他の曲はどうでもいいってのもあるよね。ただ単に、どちらでもないアルバムが記憶に残らないだけなのかもしれないけど。




今、海辺のカフカを読みながら、この短編を読んでいる。海辺のカフカ自体はそこそこ前に描かれたものだけれど、読みあぐねて他の本を先に読んでしまった。なんで読まなかったかはよくわからない。手元にあるといつでも読めると思って読まないんだよね。でも、たぶん実際には買っていなかったっぽい。探せば出てくるかもしれないけど、結構奥の方に埋蔵されてしまっているようだ。

最近、少しずつ発掘断捨離を続けているのだけれど、昔のように本が売れなくなったので(ブックオフには無料で献上することになってしまう)、ちり紙交換車に出してゴミとして処理するしかないんだよね。ブックオフは宗教団体の資金源になっておるようだし。関係者じゃないので寄付する義務はない。


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漫画の海賊版サイトについて [本]

漫画村に続いてどこか有名どころのサイトが摘発された。もちろんマンガの海賊版サイトの運営者はマンガの収益方法を破壊し、その上で自分が儲けようとしている点において、刑事的にも民事的にも罰則を受けるべきだが、それを使うやつらの言い分が酷すぎた。

Twitterから流れてきた利用者の言い分を聞くと、金を払わなくていいのに金を払うやつは馬鹿だ的なことを言う人さえいた。まぁ今は利用者は捕まっていないけど、加害者であることは間違いないわけで、それを正当化できる人間は一人もいない。

普通のフィジカルな店で万引きをしたら、捕まってしょっ引かれても仕方ないし、万引きを声高に主張する人はいないだろう。少なくとも万引きは特になるからいいというやつは一人もいないはずだし、万引きをしていることに全くの抵抗感がなかったとしたら社会的な精神障害としか言えない。もはや、一般的な社会で生きていたらいけないレベルだ。そういう人は臭い飯を食うのがよい。そういえば、最近の刑務所は臭い飯なんて食わせないみたいだね。周りの人間の干渉さえなければ、それほど悪い環境ではないようだ。

だけど、海賊版のマンガに関してはいいと思っているやつがいる。やっていることは万引き以外の何者でもないのに、なぜこんなことが起こるのだろうか。それは多分、マンガアプリとかで何冊分無料とかやっているところにもあるのではないかと思う。それは収益上続きを課金してもらうためのサービスでやっているのだけれども、それを若い人はわかっていないところがある。音楽とかもYoutubeで無料でMVを配信とか普通にある。だから、なんでもタダだという頭があるのだろうと思う。

音楽だけど昔はラジオがあった。それは広告で賄われていたわけだし、それを聞いていてもレコードやCDは買っていたわけだ。だけど、リッピングや圧縮音源が使われ出したら、違法なコピーが横行した。それはマンガと同じことだと思う。だけど、ある程度まずいなと思いながらダウンロードしているところはあったと思う。でも、普通にプロモーションのために動画で公式に音楽を上げるところも増え出した。これでは若い人がタダでコンテンツを手にしてもいいんだと思っても仕方ない。

まずいと思うのは、カジュアルに窃盗を犯しているところだ。昔の違法ダウンロードは多少後ろ暗いところがあったかと思うのだが、今はそれがあまりに希薄だ。それもスマホひとつで漫画を簡単に見られるらしいので、スマホを持てれば誰でも犯罪に手を染めることができる。だから軽々しく違法漫画サイトを使わなきゃ馬鹿だみたいなことを言う奴が出てくる。

結局、どうやって世の中でお金が生み出されているかわかっていない馬鹿者が、人を情弱呼ばわりして犯罪を起こしているだけなのだが、物を作ることにどれだけの手間がかかっているかわかっていたらそんなことはしない。ただ罰せられないからやっているということはあるのだろうけど、犯罪に後ろ暗さがなくなったらそれはそれで終わりだろう。

オタクはそういう金周りを知らないものが名乗っちゃいけない気がするし、欲しいものにお金をかけるというのがオタクというものだろうから、根本的にマンガ海賊版サイトを使う人はオタクですらない。

自分が全く著作権などに触れていないコンピュータの使い方をしているかと言えば、多くの人が多少なりともやっている程度にはやっている。だから強くは言えないけど、お金が入ったら実際に買ったりはしている。それが帳消しにされるとは言わないけど、その業界に対して全くのマイナスではないことは確かだ。それとコンテンツとして一般的に市販されていないものに対しては、他に手に入れようがないので仕方なくというところもある。本来ならレーベルが正式に出して欲しいけど、叶わないということはままある。

手に入らなかったものが手に入るようになったりするのはデジタル様様なのではあるが、普通に手に入るものについては問題がない限りは買う。だけど、マンガの海賊版サイトは普通に手に入るのに、それを使わないのも厳しい。提供する側もクソだが、それにハエのようにたかるのもクソだ。

世の中Youtuberみたいな訳のわからない稼ぎ方ができるようになって、常識がおかしくなっているのかもしれないが、間接的にも直接的にも正統的に作ったものにお金を払うというのは当然じゃないかと思う。本来的な製造業などがバカを見るようになってはいけない気がする。稼げればそれでいいというのは、最終的にはその分野を壊してしまうことになる。


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江口寿史の「彼女」 [本]

エロ寿司ではありませんw。

美術館でやったのの延長で、画集になったんですが5000円はたかいよなぁ。でも買いました。


江口寿史美人画集 彼女

江口寿史美人画集 彼女

  • 作者: 江口 寿史
  • 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
  • 発売日: 2021/03/10
  • メディア: 単行本



今までの画集のかぶりも多いものの、結構満足。江口さんもファッション雑誌から丸パクリのところもあったりするので、ポーズの参考にしようかと思っている。

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なろうやろうに俺はなる! [本]

小説家になろう、というまんまな名前の投稿サイトがあるんだけど、そこに登録した。純文学的なものは向いていなくて、多くはラノベ系ではあるのだが、大手のサイトは他にあるかどうかもよくわからないのでとりあえずはここでやってみる。

やっぱWebベースなので、基本は自分のエディタで打ち込んで、そこからコピペというのが一般的なんじゃなかろうか。メールとかで投稿できるみたいなことが書いてあったので、ケータイ小説ならぬメール小説とかスマホ小説が出来るわけだが、わざわざ面倒なことはしない。そもそも文芸誌への投稿が面倒なので、なろうを使おうと思ったわけで、それ以上面倒なことをしたくないというのはある。

小説を書きたいという気持ちは、20代の頃にはすでにあって、短い文章を書きためてはいた。だけど、完成することはなく、超短編を書いたりするのが関の山であった。30代は病気があったので、時間はあってその時に書けばよかった気はするのだけれど、意欲が落ちる病気であったので気分を持ち上げるのも厳しかった。何だかんだで言い訳つけて完成させなかったわけだ。

マンガでの話だけれども、とりあえず書ききって完成させろという話があって、小説も同じだよなと思った。

正直、自分の中では完成してはいるのだが、どうにも完成させることが出来ていない。書き始めてはいるのだが、最後まで書き切る気持ちが持続しない。プロになるには完成させればいいというわけではないが、完成させない限りはその可能性も一つもなくなってしまう。

妄想が膨らんで、ボケて書いてもいない小説を盗作だとかいう人間にはなりたくないしなw。というか、そういう人間のメンタリティは全くわからない。なんで誰でもない人間の考えていることを小説家というアウトプットできるスキルが有る人に対して言うんだろうと。意味がわからない。脳の病気でそう考えるのはわかるけれども、仮に百歩譲って盗んだとしてお前にアウトプットできる能力があるのかということである。作品として世に出せる能力ってのは、頭で妄想しているのと違う能力であるし、たとえ同じことを頭で考えていたとしても出てくる内容は違うだろう。それが表現ということだ。ちょっとしたアイデアが似ていたからと言って、盗作だと言っていたらきりがないし、形にするというのはまた別の話だろう。

と言ってきたが私とて長い文章を完成させたわけではない。長い文章を完成させた実績は卒論ぐらいじゃなかろうかと思う。それも自然科学系だったので、小説とはかなり毛色が違うし、事実を書くという論文はネタさえ揃えれば書くのはロジックで出来た。でも小説はたぶん違う。

とりあえず、手元にあるテキストはいくつかまとまっているものがある。短いものだが、組み合わせればなんとか出来るだろう。まずは一つ完成させる。それが大事。更に誰かに見てもらって、何かが起こればしめたものだ。そう簡単にいくものかとは思うが、途中にせずにやってみる。成し遂げるということは自分にとってなかなか難しいことだったから、そこを乗り越えていくのはルーチン的に出来るようになっておいたほうがいい。何も成し遂げていないわけではないが、本を書くだけじゃなくて、本を読むこと自体も最後までできなかったりするので、元々最後まできっちりやるって事自体が向いていないのかもしれない。

先のマンガを完成させろという話はやることが困難なほどハードルは高くなるが、とりあえず作らなくては上手いか下手かはわからない。しんどくても一度踏み入れたなら一つモノになるまでやるべきだろう。今はWebが表現の場になりやすいから、表現を周りに伝えるというのはハードルが下がってはいる。絵を描いたりマンガを書いたりするよりかは、断然ハードルは低いのでやらない理由はない。

もうおじさんになっちゃたけど、それだから見える風景というものはあるものだ。若い頃書かなかったことは悔やまれるが、今からでも遅くはないだろう。というか、こんなところでダダ漏れてないで、作品にを作れと言われそうだ。とりあえず、なろうになろう。


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異世界ものの制限ないラノベやアニメって面白いか? [本]

異世界もののアニメが百花繚乱と言うか、深夜アニメにやたら多くて食傷気味である。面白いものもあるけれども、どこかから設定やらアイデアを借りてきているだけのものも少なくはない。すべての創作物はなにかのパクリであることは疑いようもないが、それにしたって似たようなのが多くて、物語を楽しくしない限りは見ていられない。まぁそれは現代劇とかでも脚本が面白くなかったら面白くないのと一緒で、舞台はどこでも同じことなのかもしれない。

にしても、現代では陰キャで転生先の異世界で無双するみたいなものが多すぎて嫌だ。まぁラノベを読んでいる主な読者層がそういう溜飲の下げ方をしているのだろうが、それにしたってあまりにもステレオタイプ過ぎて、傷をなめ合うというか舐めてもらっている感がいたたまれない。正直、転生前が引きこもっていようが、童貞だろうが知ったこっちゃない。そういうところだけリアリティを求めている割には、転生先の状況があまりにも都合が良すぎることが多くて、転生先でのリアリティはいいのかという感じもある。


ご都合主義なのは物語の傾向としてあるのだが、それを裏切ることも醍醐味と言える。でも、あまり暗い方向に行ってしまうのは見ていて、つらいし楽しめない。小説でもイヤミスとか読めないタイプ。ご都合主義で多いのが、異世界でチート能力を発揮して無双というのも多くて、異世界物の半分はそれのような気もする。現世でどうにもならなかった自分を取り戻す的な。

まぁそれも良いとして能力に制限のないものって基本的に面白くないんだよね。制限されてそんなのじゃ何もできなさそうと見えて、実はすごく役に立ったというのが本来的に面白い。そもそも何でも解決できる万能の能力なんて見ていて何のカタルシスもない。その能力を使って簡単に勝てちゃいました的なものを見ていても、なんつーか本当にラノベの域を出ない。チートスキルのチートノベルだ。

課金制のゲームでチートとかはまだわかるんだが、買い切りのゲームでチートする意味がわからない。そういう方法が出ている雑誌とかあったけど、買う人のほとんどが子供にレベラゲを強いられて、面倒で使っている親が多いって話も聞くが、ゲームってそういうもんじゃないだろと思ってしまう。


その中に転スラもあるのだが、転スラは国を作っていきそれを運営していくことに重点が移っていくので、リムルのなんでも吸い取る大賢者というチートスキルはいくら弱小モンスターにしても大きすぎるような気がする。でも、転スラはそこまで退屈な感じはしないんだよね。テンポがいいからかな? それとスライムからどう覇者になるかと考えると、そのくらいの能力がないとダメだったんだろう。でも、昔のTRPGやゲームブックのスライムってそこそこ強いモンスターだったりする。あまりにドラクエのすり込みが強すぎたと思われ。

蜘蛛ですが、なにか?は同じようなスキル取る系の作品だけど、あれは普通のRPGのレベラゲに近い。というか、レベルアップでステータス回復とかそのまんまだ。ただ、退屈なレベラゲにはなっていなくて、どうにか生きていくためサバイバルするというところが割と引き込まれる。生の執念というのが現実的に平和な世の中には足りていないから、アドレナる感じw。


ラノベやファンタジーで制限があまりない能力を出してしまうと、全体的なバランスを崩してしまい内容が陳腐になってしまう。先に言ったようにご都合主義の塊になってしまうという事だ。何にでも勝てるじゃんけんの手の形があるみたいな。もしくはなんでもそれに乗っかって、その人が出てくれば解決しちゃう的な水戸黄門の世界になってしまう。それはそれで楽しい人もいるかもしれないけど、それで喜ぶような旧時代のおじいちゃんの世代ではないのだ。

ノゲノラが面白くないと思ったのが、本来のゲームのルールを破壊したりチートしたりして、ゲーム本来の面白さや機微みたいなものがまったく失われていたことだった。やはり制限やルールは物事を面白くする一つの要素になっていて、それを達成したところの感情に良いところがある。ズルしてそれをすり抜けて何が楽しいのか? 何でもできる能力を手にして何が楽しいのか? そう思う。ゲームが大事みたいな話をしていて、一番汚しているのがその作者だという矛盾は面白いけどなw。

そういうチートが流行る中で、最近のマンガとかで特訓とかするところを見せるのはあまり流行らなくて、それをやると売れないと言われていた。だけど、鬼滅の刃は前半は結構訓練の部分が多かった。初めからなんでもできるようになる最近のラノベと全く違う。対極の話だ。だからやっぱり見せ方なんだろうなと思う。ドラゴンボールとかも修行の時間が結構長かったしな。面白いかどうかが決まるところはそこではないのだろう。ただ、修行はつまらない反復も多いので面白くならない可能性は高くなってしまうのは否めない。

僕的には制限がそこそこ強いのに、理不尽とか不利な条件で勝ち抜いていくってのが、普通というか王道っぽくていいと思うんだがな。でも、それを自分で作るのは面倒だし、何でもうまくいくチート能力のほうが書いている方の爽快感はあるんだろう。でも、正直そんなん読んでいる方としては何なん?という気もするし、面白いことを別に持ってきてくれないと話にならないわけで。

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「小説家になろう」では小説家になれそうもないが [本]

一時期、ラノベを書こうとしていろいろ書いたのだが、どうにも純文学風になってしまい、ラノベ的な面白さが不足がちだった。そもそもラノベをほとんど読んだことがないのが問題と言えばそうなのだが…。

最近テレビで、「小説家になろう」のCMがやっていてちょっと惹かれた。基本的にラノベの登竜門になっているのだけれども、それ以外のいわゆる一般的な小説でもいいようなので、自分も今まで書いたものに手を加えて出してみようかと思ったのだった。

一時期、文芸誌に出してみようかと思ったのだが、正直自分の書いたものが取り扱われるのは難しいと感じるようになった。書いていれば書いているほどその思いは強く、一部の人には訴えかけるかもしれないけど、一般的ではないなと感じていた。

まぁ編集者にリジェクトされて一般的な人に読まれないよりも、広く開放して少しでも引っかかる人を捕まえた方がいいんじゃないかと考えるようになり、Web小説にはちょっと希望を見出していた。ただ、そのプラットフォームがどのくらいのものかが気にはなっていたが、やはりメジャーなものにすべきなのかと思ったのだった。メジャーであるほどうずもれやすいかもしれないが、どちらにしてもうずもれるなら広い土俵でやった方がいい。

小説家になれればいいんだろうけども、まずは発表されることの方が大事だと思った。同人誌的に出すのは誰にでもできることだと思うので、やるだけやってみようという気持ちが出てきた。ただ、今のままでは査読に出す以前のレベルなので、みんなに見せるにはかなりブラッシュアップしないといけないだろう。

少なくとも自己顕示欲がない人が小説を書くことはないわけだけど、それよりも何か言いたいことがあることの方が優先している気がする。面白いかどうかはわからない。でも誰もが面白いと思うようなものは誰も書けないと思うから、ニッチにでも面白いと思えるものを書こう。下手の横好きというが、みんな初めからバリっとした文章を書けるとも思えないしな。まぁセンスみたいなものはかなり人によるかとは思うけど。


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反知性主義か… [本]

反知性主義という言葉を主治医から聞かされて、そんな言葉もあるんだなと思った。最初聞いた時は、知性に反する主義なんだろうなと思っていたのだが、実際はそんなに簡単な話ではないらしい。だから、橋下徹が反知性主義って言われるのが嫌だみたいな事を言っていたらしいのだが、別にそれ自体橋下に使っていたとしても、知性がないわけでもなんでもないわけである。その状態を見ていないからなんとも言えないけど、たぶんアメリカの反知性主義を日本に当てはめたら橋下もそのカテゴリに入ってるよと言われたんだと思う。

『反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)』を読めというのが早いが、基本的にアメリカのポピュリズム的なところと似ているっぽい(というかかぶってる?)。いわゆるトランプの支持母体の考え方なんだけど、それがアメリカのキリスト教がこじらせてひどい状態になっているようだ。アメリカという先進国ではどう考えても理解しがたい原理主義的なところがそこから来ていて、トランプみたいなならず者を大統領にまでさせてしまった。


反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

  • 作者: 森本 あんり
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2015/02/20
  • メディア: 単行本



橋下徹が反知性主義という言葉をはっきりと理解して怒っていたのかはわからないが、どちらにせよ日本にアメリカから出て来た反知性主義を当てはめるというのは雑すぎる気はする。ただ保守派層がインテリ層をないがしろにする構図は似ているので、日本もネトウヨを終着点とする右翼・保守派と、アメリカの共和党を主とする保守派は同じようなものかもしれない。

今回のアメリカ大統領選挙は日本でも盛り上がったが、なぜトランプがここまで強いのか訳がわからないことも多かった。日本でここまで滅茶苦茶な暴言魔王を国家の頭に据えることなんてまずありえないし、とはいえトランプと安倍・菅の独善的な政府運営に違いがあるのかといえば、その危うさは似ているものがある。

何にしてもトランプが再選されなかったことは、アメリカにもまともな人間がいるということを証明したようなものだ。というか都市部はバイデンで、田舎はトランプという感じが見て取れたのも、アメリカのキリスト教の根の張り具合を具現化したような感じになっていたんだろう。日本でも田舎は自民党が強かったりするものね。

にしても、アメリカに前時代的な考えをする人が多くいるということに驚くとともに、キリスト教が絡んでいるとは知らなかった。アメリカはもっとリベラルな場所かと思っていたら、とんでもなく旧時代的なところがあったのだった。こんなに色々な所から情報を得られる世の中になったにも関わらず、視野狭窄的なキリスト教義が居続けることができること自体驚きだ。


結局、民衆はわかりやすい方に行く。だけどわかりやすい方面というのは、わかりやすいバカに利用されているだけの世界でもあるわけだ。ただ日本は欺瞞をそのままにする人は多くはないので、王様の耳はロバの耳であれ、裸の王様であれ、おかしいということはおかしいと言う。だから八百万の神の世界としては、いろいろな見方が存在することを願う。

でも、日本の芸能界とかを見ていても、安倍支持の熱心な信者が結構居て訳がわからない。どこにその魅力があったのか、支持したところでメリットはどこにあったのか、今でもわからない。モリカケ問題にしても利益享受者以外はなんの得もないのだ。なんで個人の利益のためだけに動く人間を支持するのかわからない。安倍に金をケチられて火炎瓶を投げた集団の方の心情の方がまだ理屈的にわかる(その行為自体がいいとは思わんが)。

極論を言うと、個人的な利益のために動いてもある程度は構わんが、それ以上に公共の利益を生み出すことをしているかどうかなんである。だって何も結果残してないじゃん。なのにスキャンダルだけ。議員として仕事になってるんですかね。そして二度も途中降板する持病持ちなのに国家の一番上に固執していたのも、自分の体の方をもっと大事にしてよと言いたかった。

反知性主義という言葉も、人を見下すような含みがあるので、本来的な知的階級に対するカウンターパートとしての意味が伝わればいいんだろうと思う。言葉が一人歩きをして、バカがバカと言われていると思ってしまう事態は避けたい。先の本だけど、アメリカの歴史として面白いらしいので、深くアメリカを知りたい人は読むといいと思います。

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『リーダブルコード』読みました。 [本]

前々から読もうとは思っていたんだけど、どうしようか迷っていた本。今回手に入れることができたのでレビューします。これは初心者よりも少しコーディングに慣れてきた人の方がすんなりと入っていく気がします。こう書けよ、と言われるよりか、自分のやっている悪癖を正す方がわかりやすいというか、実利がある気がするので。


リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

リーダブルコード ―より良いコードを書くためのシンプルで実践的なテクニック (Theory in practice)

  • 出版社/メーカー: オライリージャパン
  • 発売日: 2012/06/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



ネタバレというか、内容を小出しにしていくよ。気になったら上のリンクからどうぞ。

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