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異世界転生ものが流行った理由ってなんなん? [アニメ]

ラノベや深夜アニメで異世界転生ものがやたらとありましたが、正直そこまで異世界転生にこだわる理由がわかりませんでした。なので穿った見方で考えてみました。

 
・そもそも現状をやめてやり直したいのか

異世界転生は大体、現状がクソで死んでチート能力で活躍するみたいなものが多いと思います。それを見ると死にたいほど現状が悪いのか、死んでやり直せればうまくやれると思っているのか、どちらかだと思わざるを得ません。

現状が悪くて死にたい気持ちっていうのは、思春期ではなくてもずっと続くこともあるでしょう。そういう意味では求心力がある設定なのかもしれません。自殺企図をしているオタクがどれだけいるのかわかりませんけど、もう死んでしまいたいと思うのはわからないではないし、それ自体は精神的にかなり不健全だとも思います。

親ガチャという言葉が流行ったこともありましたが、親が良ければ自分はもう少しマシだったのにということですよね。確かにそういう側面はあるかもしれませんが、その親から生まれている時点で遺伝子が親から受け継いでいることで、自分という個が確立されているし、それがなかったら別人として生まれていてそれはそもそも自分ではないはずです。

そして仮に他の裕福な家庭に生まれたところで、自分という個が変わっていなければ大体同じようなことしかできないのはあまり変わらないのではないかと思う。そこで思いついたのは、転生もので付与されるチート能力である。平凡な人間が成果を上げるなら非凡な才能が必要ということなんだろうけど、それもあまりに取ってつけたような設定だろう。物語的にわかりやすいけど、結局貰い物でしかないわけで自分でなんとかするという話ではあまりない。

娯楽なんだから夢見させてくれよ、というところなのだろうけど、あまりに後ろ向きすぎやしないか。それは現状を否定するだけじゃないかと感じる。ただ、娯楽を見るという前提において、現状が悪くて不運で死ぬというくだりは必ずしも必要ではないし、現状をよく思っていない人を惹きつける餌としか思えないんだよね。そういう意味では安易な誘因装置だと思うし、それをわからずにやっている作者も多いんじゃないかと思う。本来なら死ぬことを肯定せず励ますものが出てくればいいのだが、そういう茨の道に入って創作する人はあまりいない。

・ナーロッパである必要性ってどこにある?

そして転生する先がナーロッパと揶揄される中世ヨーロッパ風にする必要もない。たぶん、作る側の怠慢というか似せて作っておけば共通観念で説明しなくてもいい部分が増えて楽、というのが正直なところだろう。ファンタジーが中世ヨーロッパ風というのは一般的ではあるが、転生先が必ずしもそうである必要はない。やはり怠慢としか言えない。

純粋な中世ヨーロッパ風ファンタジーでも面白い作品はある。だけどナーロッパにしてしまうのは自分の知っているのがゲームでよくあるファンタジー世界でしかないからではないのだろうか。実際、ゲームに閉じ込められちゃったよって作品はいくつかあるし、それ自体は否定はしないけれどもまたかという気にもなる。


・結局、現状に対して溜飲を下げるものなのか

そういうものを好んで読む人は、現状が異世界転生モノに逃げるしかない恵まれない人なのか、ただ供給されるのが同じモノでも消費し続けているのか、どうなのかはわからない。ただ読み続けられているということはなんらかのカタルシスがあるわけで、精神状態としていいのかなぁと思わざるを得ない。

死んでやり直すとかゲームみたいだけど、多くの人間は問題を背負いながら生きているのだ。自分だけ不遇な環境で生まれて冷遇されていると思っているとしたら大きな間違いだし、親ガチャで楽をしている人もいるというのもまた事実だ。だから今の辛い思いを手放してなんとかするというのは逃避でしかない。逃避してもなんとかなるのならいいけど、死にもできずに逃げ回っているならばなんとかしたほうがいい。

それで溜飲を下げられるならそれでいいとは思うし、ただ単に娯楽としてみている分には毒にも薬にもならないものがほとんどだから問題はない。ただ異世界転生ものが多すぎるんだよなぁ。正直もうお腹いっぱいですとしか言いようがないし、別に異世界転生にする必要のないファンタジー作品も結構ある。まぁ流行りだからやっとけ、という安易な作者や編集が多いのかもしれないが、他の人と同じものを書いて面白いのかなと思わざるを得ない。


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