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本を読むのは好きじゃないんだけど読む。 [本]

本を読むのは得意じゃなくて、すぐに飽きて放り出してしまう。読みにくい本などは本当に即決で読まなくなってしまう。それでも高かったり、読んですぐ返さなければいけなかったりすると、苦労をして無理に読んだりする。だからいろいろ無駄にしないために借りれれば本は借りて済ますようにしている。というか、本は買ったまま売らないし捨てないので部屋にたまっていってしまうのもある。

元々飽きっぽい性格なのもあるが、本は読むのが遅い上に楽しんで読めない。小説一冊を二三日でサクッと読んでしまう人がいるが、本を娯楽として読む事が基本的にできない。マンガとかならまだそのノリで半日で読んでしまうこともあるが、それだって一気に読んでしまうことは少なかったりする。

なんだか色々な事が楽しみではなく、やらなくてはいけないことになってしまっている気がする。食事も睡眠も本来楽しいし、楽しくないわけじゃないけど、日々のルーチンとして行なっていかないといけなくなってしまっていて、本来の楽しさというのがなくなってしまっている。

させられ体験ではないけれども、どうにも自分から能動的に行っていることで人生が成り立っている感じがしないのだが。それはもしくは常識に従って行動すればみんな普通にやっていることなだけなのかもしれないが、それを自分の意志でやっている気が全くしない上にやろうという気がしない。

チキンラーメンのぐで垣さんのように何もしたくないというのが一般の人にもあるのが分かって、自分もいくらかまともなんじゃないかと思ってはいるが、そこは病人なだけあって病的さは磨きがかかっている。たぶん、親がいなくて何も言われなかったら病気が悪化してもうこの世にいないだろう。

生きるのを維持するために、投薬もしないといけないのだが、それを維持するのも結構しんどい。仕事とは別に休日に通院して薬をもらっているので、結局休みがとられてしまう上に外出してダメージを受けることもよくあることだったりする。ただ薬を飲むだけの投薬だけじゃないので、眠い時にはもうしんどくてやりたいとかやりたくないとかじゃなくほとんどできない。普通の人でも何もやりたくないという状況が存在するのに、その上で生命を維持するためのそこそこ重要なルーチンワークがあるというのは生きるのを困難にする。

人間の世界としては、生きる可能性があれば生かすという医療の方針なのだが、生かしといても絶対ポジティブに生きられないというのはいくらでもあるはず。そもそも病気自体がネガティブ思考を引き起こすものだから、それが治ったとしても一般的な人生の明るい展望がなければ、もし病気を完全に取り去ることができても意味がない。

そういう意味では、世の中は生かしとってもその人のためにならない生かし方をしている傾向がある。ガンなどの延命治療の拒否などのためにホスピスがあるけれども、他の病気に対しても延命治療してほしくない人はいると思うんだよね。生きるのを選択できる状態のうちに自分の生き死にを決めるというのはある意味ポジティブな生き方ともいえるんじゃないだろうか。生きるのをあきらめにもある程度、行政の補助が欲しいものである。だってこの先高齢化社会で医療費はどんどんかさんで金がなくなるんだから、そういう積極的な補助も欲しいと思うんだよね。

積極的に死にたいとは思ってはいないんだけど、生きていたところで面倒というかしんどいばっかりで、その先に明るい展望があるわけでもない。そういう状況ってのは重い病気を患っている人には多いと思うんだよね。変な宗教にお布施する前に国が救ってやらないとカルト宗教が蔓延るぞと軽く脅せば行政は動くんだろうか。そもそも行政の補助が完全に足りていればそんなことを考える人も少なくなるのだろうけど、そこまでの財源は日本にはないし、あったとしてもそっちに金を回すはずがない。

生きているのが楽しくないし、つらい、面倒くさい。面倒くさいというのも普通じゃなくて病的に何かをしたくない。それは人間の根本的なところにあるのかもしれないが、自分で死ねるほどの切迫性も積極性もない。死のうとしたところで中途半端に植物状態になってしまうなどのひどい状況は絶対に避けたいし、今よりも苦しい状態には絶対になりたくない。何か生きていることを実感できることってないんだろうか。それも病気に触らない程度で、日々を生きる事を肯定できるような何か。

そんな状態でも無理して本は読む。嫌な事を少しでも考えられないように。

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