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自分が発達障害じゃないかと疑ったことのある人 [徒然]

わりと多いんじゃないでしょうか、自分が発達障害なんじゃないかと思ってる人。判定に病院まで行くかは別として、発達障害に良くありがちな行動をしてしまう人って少なくないと思うんだよね。例えば片付けられないとかコミュ障だとか空気読めないとか。それはあくまで傾向なんだし、その傾向も程度問題という事なんだと思う。

国民の休日にNHKで発達障害の番組をやっていた。Eテレではそこそこよくやっている議題だけれども、NHK総合ではあまりないのではなかろうか。言葉にしてしまうと深刻さはないものの、実際に見てみるとこれは困るわというものが多かった。それにしても近江ちゃん顔は好みじゃないけど、全体的な雰囲気が好きだなw。

https://h-navi.jp/column/article/134

多くの人はその程度が日常生活に問題にならない程度に収まっているという事なんだろうけど、問題はそこで不都合が起きて解決できない状態になることだ。仮に発達障害と判定されたうえでも、日常生活や社会生活が上手く乗り切れていれば問題はない。というか、今までそこまで発達障害について細かく言われなかったのは、性格とかの範囲内だとされて無視されてきたからなんだと思う。

しかし、脳生理学的にもレセプター関連の病気であることは明らかにされつつあるし、程度の差はあれこの効率化された世界においては行動などが問題視されている。よく当事者じゃなくその親が、発達障害が病気じゃなく個性(の範囲内)だとする事を良く述べているのだけれど、それはその親が病気だと認めたくないだけなんじゃないかと思ったりする。病気だと設定して動いた方がその子のためになるし、親も発達障害の子供も楽になるだろうに、何で体面ばかり見繕うのかわからない。他の障害者と同じように扱われるのがそんなに嫌な事なのだろうか。

確かに人の程度によっては、この社会でもごまかしながら発達障害を個性として生きていくことはできるだろう。でも、昔と違って他人の好意を圧倒的に受けづらい世界になってしまっているのだ。恐らくは、親としては被差別カテゴリーにされたくないというのがあるんだろうが、LGBTや障碍者もどこまで行ってもそれは変わりのない事だし、病気による生きにくさと差別されてしまい不利益を受けるというのは、本来的には別のものだ。そもそも、病気で生きていくことに不都合が起きているならそれは障害と言っておかしくはない。それを個性だと言ってのける人は、逆に障害への差別を助長していると言ってもおかしくはない。

今の状況では、障害者と健常者をぶった切る敷居というのは明示化されているが、発達障害に関しては半分自己申告で他の障害者ほど明確ではない気がする。よくグレーゾーンと言われますが、困って一人で立ち止まって他人の助けが必要な状態であったとするなら、やっぱりそれは障害者と言わざるを得ないし、多くの場合認めてしまった方が事がすんなり進むのだろうと思います。

結局は程度問題なのだろうと思いますが、大人になってからは二次障害で気づくことも多いのでしょうから、その二次的な病気も背負っていかないといけないわけです。そういう意味では、子供の頃に発達障害と判定された人より、その程度よりもさらに根深いものとなってしまう可能性も大きいはずです。

都市化社会で現代にいろいろ歪みが生じているのはわかっていますが、少子高齢化にしても過疎にしても仕組み自体が循環せず立ち行かなくなっている気はします。高度な効率化によって便利な面と不可逆的に不都合な面が際立ってしまっているのでしょう。それが境界線上にあるグレーゾーンの発達障害の人々に顕著であると言えるのではないのでしょうか。

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