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年上のおばさんに言われたこと [徒然]

年上の女性とはいえ、自分が年を取ってきているから、その数はどんどん少なくなっているわけだけれど、女の人は残酷なことを平気で言えるから怖い。しかも、嘘であっても平然と言ってのけるからひどく怖いのだ。

ある人は、記憶は悪い事が残るのだと言っていた。楽しい事より嫌なことが記憶に残るのは、この先同じ悪い事から避けられるようにするための、人間の傾向なのだと誰ぞやから聞いた、と言っていた。女は誰々から聞いたってのが多くて困るが、まぁ男にしたってそう言わないだけで、誰かの言葉を借りることも多い。その中に客観的な承認が含まれているから、自分が言い切ったっていいと思っているだけだろう。それとも、女の人が言い切らない事が多いのは自分の立場を悪くしたくないからだろうか。その割には噂を言い切る人もいるんだよな。気持ち悪い生き物だ。

確かに、悪い記憶が残ることによって、その後の人生は良くなることも多いのだろうけど、PTSDとかの大きなトラウマになったら明らかに害だよな。でも、人間には乗り切ることができない不幸は存在するし、直接の不幸で死ななくても、その後で自死する人間はいくらでもいる。大体の事は偏りはあれハッピーエンドになるんだと漠然と思っていたことがあるけれども、そんなことは限られた一部の幸福なのだと理解してからは、多くの事に期待はしなくなった。多くの人は物事が当たり前に動くことを当然だと思っているが、そうならないように維持している人間がいるというだけで、結構簡単な事で多くの状況は瓦解する。電車が止まるなんて最近よくある事でしょう。それが不幸かどうかは人によるのだろうけど。

そんな事を思うのも、不幸な記憶が残っているからなのだろうけど、もう少し楽しい事と思えることが世の中に残っていればいいのだけれど、それらはもう手の届かない場所に行ってしまった。世の中に嫌な事ばかり増えていき、それに対する耐性が増していくだけだ。


ある別の女が、自分を不幸と思うのも幸福と思うのも、自分次第でどうにでもなる、と言い訳みたいな事を言っていた。確かにそうなのだけれど、世の中にはこれは物理的にどうしようもないとか、努力したところで落としどころさえ見つけられない酷い状況は存在する。自分がどう思うかなんて、仮に神様がいたらそんなこと気にしてはいないんだろう。人の気持ちなんてどうとでもなるんだから、それをもてあそぶ存在がいるとしたら下世話な存在としか言えない。

大体、不幸かどうかなんて思う事態が問題であって、心次第で何とかなるとか言うのは慰めにもならない。確かに心さえ折れなければ何とかなることが多いのだろうけど、その先に何か明るい展望があることの方が少ないのだ。というか、大体わずかな明るい展望を目指していたが、それさえもなくなってしまうことの方が多いのではないだろうか。人の生涯などそんなものであろう。そう思わない人は、元々それだけの耐性があるというだけで、努力とかそういうものが関与できる部分ってのはそれほど多くはない。それか世間的に見ても自分の感じるところも幸福であるという恵まれた環境にいるだけの話だ。

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