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エディタとSystemdが使いやすくてうれしかった。 [Linux]

Markdownがすんなり読めるようにAtomを入れてみたんだけど、なんか動作がもっさりしているというか、インストールが異様に時間がかかってちょっと辟易。Atomが流行ってた頃には手を全く付けなかったんだけど、メリットってどんなものなのかなぁ。最近、Sakura EditorとviとIDEのものしか使っていないので、正直あんまり頓着はないので何でもいいんだけどね。

何でもいいと言いながらGREPに近い検索ができた方がいいし、正規表現ができた方が何かと役に立つ。IDEだとデバッガと連動しているから、やっぱり開発には使った方が楽ができるよね。ただメモリ消費量が多くて重いけど、それさえ気にしなければエディタとコンパイラだけを使っているよりかは効率的ではある。というかデバッガって単体で使ったことがほとんどない。

Markdownを調べようとしたんだけど、正直亜種が多すぎて覚える気にはならなかあった。そういう意味でMarkdownエディタとかはお手軽なのかなと思う。ただプレビューを見せるだけのものが多くて、インラインで編集できるのってそんなになさそうな気がした。そこまでするほど重いものを望んでいるわけではないし、wikiにしてもmarkdownにしても自分で拡張した部分が多すぎるような気がしてならない。かといってHTMLゴリゴリ書く気にはならないからブログを使っているわけだが、Markdownでさえマークアップが面倒とさえ思えてきてしまう。まぁ一部HTMLのタグの簡易的な記法みたいなものだが、思ったよりも楽しめなかったのが残念でした。


Systemdを使って自分のアプリをデーモン化したのだが案外簡単だった。スクリプト書いて、二三のコマンドだけで立ち上がるようになった。/etc/init.d/に特殊なシェルスクリプトみたいなのを書くよりも、設定ファイルを書くだけのファイル操作を考えるとSystemdに移行する意味もあろうというものだ。しかし、なんで少なくない人がSystemdに反対していたのか理由がよく分からんな。使いやすくなって速くなって多くのディストロが取り入れた意味が分かろうものだが、この先進的なLinuxのシステムにおいても新興勢力をいいと思わない人がいるんだという事だ。

http://postd.cc/why-i-dislike-systemd/

正直、問題としている理由がそんなに重いものだとは思えない。というか、Linuxが技術偏重の人間が使い続ける事自体の方が問題があるのではと思う。どこかでダーティーな処理を受け持たないといけないという話であれば、集約できる作業ならそうしてしまった方がいい。今更aptやyumがない依存性解決を全部自分でやれという世界に戻れるか?それといっしょだろう。

コンピュータ言語でもそうだけど、複雑な処理は隠ぺいした方が本来の作業に集中できるのだ。OSを使うのを好きな人はいいかもしれないけど、ほとんどの人はそれを動かして何をするかが問題となってくるのであって、学ばなくていいという事ではないが、別に学ぶことがごまんとあるのが分からないとは言わせない。

それにしてもデーモン化する前までは、tmuxで立ち上げたままにしていたので、その分tmuxが使いづらくなっていた。Systemdは面倒なことを覚えなくて楽ができていい。手続きを簡単にしてできることを増やした方が断然いい。技術系の人間は俺はできるからいいけど、って奴が多すぎて反吐が出る。そんなことでは世の中は発展しない。パワステもオートマもない車の世界がないように、GEEKだけが台頭するような世界ではなくなっている。そもそも今どきカーネルを自分でコンパイルしないとできない事とかほとんどないしな。多くの人がブートできない状態にしてしまうのが関の山だろう。

と僕が言わなくても、ほとんどのディストリビューションがSystemdを取り入れていることから正常進化と考えるのが普通の人間なんじゃないかな。歴史も大切かもしれないけど、実際に現在使う人間の事を考えるのが世の中の常である。基本的にマッチョな世界ってのは嫌なんだよ。外に出ると使えないスキルでタコツボの中で鼻高々な奴らは見ていて辟易する。

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